たすけのブログ

あなたの助けになりたい。

若者がコロナを「自分ごと」にできない件について。

若者にはコロナを他人事ではなく、自分ごととして捉えて欲しい。

 

そんな発言をよく耳にします。

でも、テレビで流れる渋谷の映像には大勢の若者が映っているし、

マスクを付けていない人もざらに見ます。

 

なぜコロナを「自分ごと」にできないか。若者の僕が理由を2つ考えてみました。

 

「感染しても無症状・もしくは軽症で済む」という情報が好きだから

 

若く持病がない人が重症化しにくいことは、若者も知っています。

だから街に繰り出し、お酒を飲む。(緊急事態宣言で少し変わってきていますが)

 

ここでもう一つ、考えてみたいことがあります。

人は「自分に都合の良い情報」を好むということです。

 

「医療現場がひっ迫している」という情報も、

「飲酒を伴う食事が感染リスクを高める」という情報も、若者は知っています。

 

ですが、数多ある情報の内から若者が行動の指針とし、

仲間との話題に上げる情報は、「若く持病がない若者は重症化しにくい」

という事実に限られます。

 

「飲みいこうぜ〜」と誘われて、「感染リスクが高いからやめとく」なんて言った日には

「ビビってんの?笑」なんて返されそうです。

 

若者は決して無知ではありません。

無意識のうちに情報の取捨選択を行い、自分の行動を正当化した結果、

「自分ごと」とは思えない行動をしてしまうのだと思います。

 

「本当に大切な人」がいないから

 

若者でひと括りにするのはあまりに乱暴です。分別のつく若者も勿論います。

 

以前、僕の周りで「そこそこの規模感での飲み会」が企画されたのですが、

「ごめん、コロナだからやめとく。」と断る人も沢山いました。

 

共通していたのは、「本当に大切な人がいる」ということでした。

「両親と同居しているから」「地方に住む恋人と合う約束があるから」みたいな。

 

いつも飲んでいる友人が大切じゃない訳ではありません。

きっと、友人も感染リスクが低いし、一人暮らしだから。という理由でしょう。

 

でも、「本当に大切な人」の存在が頭によぎった時、飲みにはいきません。

 

若者は、「大切な人は、とても大切に」します。

SNSでの希薄な人間関係に虚しさを覚えているから、その希少さ・大切さが分かるのです。

 

「自分は割とどうなってもいいんだけど

 両親が、恋人がつらい思いをするのはやだな」

 

という気持ち、とてもわかります。

 

無症状・軽症で済む若者が、コロナを「自分ごと」にするには、

自分以外のところに思考を広げてみることが重要だと思います。

自分にとって大切な人、医療従事者の方々。

自分は「どうなってもいい」かもしれませんが、

「誰かにとっての自分」は「どうなってもいい」とは言えないかもしれません。

 

話が大きくなりましたが、早く外でビールを飲みたいなぁと思うのでした。

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